遺跡

2009年8月 7日 (金)

8/1(土)-2 飛鳥

飛鳥・石舞台
談山神社のあと、初瀬街道を走って飛鳥 石舞台に向かいます。

何年ぶりなんだろう。昔 通いなれた飛鳥だけど、今日はどこを走っているかさっぱりわからない。田んぼの中の狭かった道が、歩道のある広い道に整備され、道の両側はきれいに手入れされた植栽が続く。おかげで僕の知る飛鳥の景観がなくなってしまった。以前なら路傍にあった石像が垣根や塀でおおわれ、道から見えなくなっています。
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石舞台は背の高い垣根と休憩所や売店が設置され、券売所で入場券を購入しなければ入ることが出来なくなっています。昔は、石舞台は広い飛鳥の田んぼの中にドンッと座り込んでいて、遠くから見えていました。もちろん切符売り場や垣根なんてありませんでした。
飛鳥のシンボルに目隠しをして、景観を変更し、お金を払った人にしか見えないようにすることが史跡保護なんでしょうか?間違ってるような気がする。
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空には面白い雲が浮かんでいます。だれ?この姿。
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あら、龍に変わった
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飛鳥でゆっくりしたい気持ちもあったのだけれど、子ども二人が「法隆寺に行きたい!」「まだ行ったことないから」と声をそろえるので(うそだ、何回も連れてきてるよ!(~_~;))、そちらを優先。気が狂ったような豪雨の中を法隆寺に向かいました。

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2009年6月 4日 (木)

四国旅行2日目-2(剣山登山)

頂上は、木道が整備されていて、頂上一帯の熊笹を守っています。
一部が広い広場のように作られていて、みんな弁当を食べたり寝転がったりして、頂上の空気を味わい、空をながめ……。気持ちいいです。
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日差しはきついですが、すがすがしい、いい場所です。
真上は雲なく、遠く、山を取り巻くように雲が浮かんでいます。
輪の中の雲が急に縦に立ち上がったり、変形したりと、面白い様子も見れました。
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頂上でも木内さんによる剣山についての解説があり、みんなで聞いていると、美しいカラスが私たちの周りを目の高さで旋回していきます。その間、カラスはずっと私たちを見つめています。そのときはちょうど木内さんが山上の鏡岩の配置について解説をしておられたところ。木内さんはカラスの登場になにかを感じ取られていた様子でした。そののちもカラスは私たちの周りに何回も姿を現します。
普通、都会派のハシブトガラスが2000mの山頂になんていませんよね!?
登山口にもカラスはいましたが、そちらは普通に山にいるハシボソガラスでした(娘がそう言ってました)。
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頂上の山小屋で、木内さんと、日猷同祖論を唱える元イスラエル大使のエリ・コーヘン氏が出会い、まわりの人たちは大騒動。写真を撮ったり握手をしたりハグしたり……。山小屋の中は人でごった返し、カメラのフラッシュがバシバシ光り、大変な騒動でした。
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このあとは大剣神社で小休憩、日本名水100選の「御神水」に寄り、モーゼの墓があるという西島神社に寄って、鹿のお尻を遠くに見ながら再び剣神社まで降りてきました。登山道の最後には不動明王の石仏が2体並んでいました。修験道の道場とはいえ大峰山や生駒山系など、関西の修験道場のどこでもで見られる役の行者像は見かけませんでした。あまり、仏教的な雰囲気が感じられませんでした。
西島神社の使者はリスだとか!?メンバーの何人かは、そこでほんとにリスを見たそう。なんでリスなの?

このあとは東祖谷の「いやしの温泉郷」にて宿泊。

食事前には、木内さん粟飯原さんほか数人の人といっしょに露天風呂でお話。お湯につかりながらお話が聞けるなんて、すてきな経験。ここでもカラスの話で盛り上がりました。でも、木内・粟飯原ご両人とものぼせてしまわれたようです。(*^_^*)
温泉の表示は強いアルカリ泉で硫黄が合有…となっていたものの、ヌルヌル感・硫黄臭ともに感じませんでした。かなり水で薄めているかも。
部屋は別荘風で良かった。キャンプ場のバンガローを清潔にしたようなところ。部屋の時計は壊れていて、しかも手持ちの時計は持ってくるのを忘れたのでちょっと厄介だったけれど。


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2009年6月 1日 (月)

四国旅行1日目-2(石尾神社~三木家~天の岩戸)

次に「石尾神社
車の行き止まりから鳥居をくぐり、あまり人の通らないような山道を上ります。
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うっそうとした森の中を上がるにつれて、まわりは巨石がごろごろ。朽ちかけたような祠が岩を背負うように建っています。ここも古代の祭祀跡とか。
緑色片岩の板状の石が数十メートル並べたところもあります。「板状列石」との説明。環状列石なら何回か見たことがあるけど……?? 神域を示すものだろうか? それとも神域へ至る道を教えるものか?
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鳥居まで戻り、川沿いの広場で弁当を食べます。
緑の中の弁当はおいしかった。

さらに「三木家」へ
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昔の阿波の忌部家は、天皇が即位のたびに麻の麁服(あらたえ)を織って大嘗祭に納めていたのだそう。南北朝以降中断したものの、大正、昭和、平成には忌部家の直系の三木家がここで栽培された大麻から織った麁服を天皇家に納めることになったと。
この日は、ご当主が不在で、建物を外から拝見するにとどめる。

最後に「天の岩戸」へ
道は、落石や落ちてきた木などが道をふさいでいるので、先頭を走る車に乗ったお兄さんたちが歩いて先導しています。ところどころ道が崩落しているので、スリルいっぱいです。

全国に「天の岩戸」は何箇所かありますけど、ここ四国にもあります。スサノオノミコトの奥さんのアマテラスがこのあたりに住まわれていたときに(ツッコミ禁止(*^_^*)、日食に出会った皆さんが、大騒動された現場とか(^・^)
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もう五時を過ぎています。あたりは深い山林なのですでに薄暗くなってきました。
山道の両側には船石や太陽?、天照像?、猿田彦像などいろいろな石像があります。
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お堂の中には黒い16弁の菊のご紋の提灯が下がっていました。
巨石の上で見せていただいた方位磁石は、磁針がぐるぐる回っていました。

今日歩いたところはそこらじゅうパワースポットだらけ。
すこし動くたびに気の流れが変わるし、あっちでもこっちでも手がびりびりしびれてた。それが当たり前みたいだった。

泊まりは翌日上る剣山のそば、稜線の上に建つ「ラ・フォーレつるぎ山
夜は食事の後、木内さんの特別フォーラム。

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2009年5月30日 (土)

四国旅行1日目-1(高松空港~五社三門)

今年もフォーラム・ソラのツアーの報告。
今回の目的地は四国は剣山。高松空港集合で翌日剣山登山、3日目に高知に出て土佐神宮参拝という四国縦断旅行です。講師は木内鶴彦さん。
ツアーは6年前にも剣山に登っていて、私は参加していませんが、遠く瀬戸内に行っていたはずの台風がなぜか剣山山頂に戻ってきたという無茶な旅行です。

初日、
今回も、何ヶ月も前にネットで購入した得割キップです。羽田から高松まで一人1万円。安い!
高松空港での集合時刻は朝の9時です。そのために、羽田7時40分発の飛行機に乗ります。
寝てしまうと飛行機に遅刻するに違いないから、夜も寝ずに駆けつけました。
夜が明けぬうちにリムジンバスに乗って空港へ。
飛行機は窓際が客でうまっている程度。B767なので、そこそこ大きい機体だけどガラガラ。

集合場所には知った顔の方が何人もおられますが、いままでのフォーラム・ソラと比べて平均年齢がぐっと下がった感じ。20才代と見える参加者が目立ちます。
それと、男性が増えたよう。

空港からは6台のワゴンタクシーに分乗して出発。小型のバスでも通れないような狭い山道を行くためだとか。(~_~;)

最初は神明神社の「五社三門」。徳島県の穴吹町にある。古代イスラエルやハワイなどの宗教祭祀と同じ形式の非常に古い祭祀という。
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積石で囲われた細長い長辺に五つの祠が並び反対側南の辺に3つの簡素な門がある。
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この祭祀の下に「白人神社」という、なんとも意味深な名前の神社があった。
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今回の旅に時計を忘れてしまった。高度計や気圧計がついていて、方位磁石もつけているので、山に入るときなどはこれほど便利なものはないんだけど、残念。だから、方位とか標高などのデータがとれてません。

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2008年9月 1日 (月)

府中市郷土の森博物館「発掘された戦争の記憶」

日曜日、府中の郷土の森博物館で行なわれている「発掘された戦争の記憶」展に行ってきました。
今住んでいる多摩市のとなり、府中市は、調布飛行場を含め、第二次大戦時の戦争遺跡が数多く残っているようですけど、それに関して何にも知らず、少し勉強しようかという気分でした。

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展示内容についてはそれほど展示品が多いわけではなかったので、驚きはなかったんですが、アメリカの超重爆撃機B29を撃墜するための戦闘機「飛燕」を隠しておく掩体壕が、府中市内に二つも残されているとのこと。実物を見たくなって、白糸台の甲州街道高架下まで行ってきました。

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分厚いコンクリートの、背の低いトンネルのような構築物が、立ち入り禁止の表示とともに残されていました。まだ、保存作業を始めたばかりのようすで、公開しているような体裁ではありません。
しかし、普通の住宅街の中に、戦闘機を格納する壕が残されていることがあまりにも意外で、しばらく唖然としてしまう景観でした。

このすぐそばで三鷹市の、しかも調布飛行場の敷地にさらに2基の掩体壕が保存されているというので、そちらも行ってきました。

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こちらは公園の中にきれいに保存されています。掩体壕の前のベンチには上半身裸の太った白人のおじさんがラジカセでクラシックを聞きながらくつろいでました。

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2008年5月11日 (日)

町田市立博物館と町田市考古資料室

今日は土曜日だけど雨。町田市立博物館に行って来ました。

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「土と炎の芸術 -世界の土器-」をやってました。

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入館無料。他に観客いないけど、監視の人2人はちゃんと椅子に腰掛けていらした。
よく見たら、うち1人は以前、展示解説をされていた学芸員の人だ。
もっと、知識があれば、色々質問できて、もうけ物って場面だけど、考古学の分野は知識がないので残念。

町田出土の土器と「愛知県陶磁資料館」蔵の各地の土器、そして中東やアジアの土器が大量に展示されていた。外国出土の土器には色々の装飾・彩色の土器があり面白く、日本国内のものでも美しいとさえ思える彩色土器が展示されていた。
残念ながら、この特別展は明日、11日(日)で終了。

この後、前から気になっていた町田市考古資料館が開館している日だということに気がつき、そちらに移動。同じ町田市でありながら、端から端への(でもないか(^_^;)移動でかなり距離はあった。

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非常に小さな建物。大きさで言うと、民家2軒分くらいか? 展示スペースも大変小さい。ほかに、そこそこ広い講習室or作業室が裏にあるようだった。 たまたま同時に入館した20名ほどの団体さんを前に学芸員の人による解説が始まった。なかなかついてる。(^.^)/
縄文土器も触らせていただけた。
縄文土器から弥生土器、須恵器、土師器、ほか鏃や宝玉?鉄器ほか、すべて町田市内で発掘された実物が展示されていた。

縄文時代の注口土器(どう見ても急須です)が3点展示されており、これがとってもいいデザイン。
こんな時代から急須はあったのか…と思いきや、弥生時代になると急須は消滅、中世になるまで再登場はしないとか。思いのほか、縄文時代とは高いレベルでものづくりをしていた時代なのだと感じた。

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2008年3月21日 (金)

沖縄旅行 5日目 3/16(日) 勝連城

朝、ホテルのベランダからの日の出がきれい。

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9時ごろバスで出発です。

浜比嘉島
この日最初の訪問先は浜比嘉島。
テレビや雑誌で何回でも見た事のある、与勝半島から海中道路を通ってさらに橋をひとつ渡って浜比嘉島にいたる。
ここにはアマミキヨの墓所があります。
島のすぐ横に、小さな島として墓所があった。美しい浅い海のなかに、それほど高くない位置に墓の扉がある。

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沖縄の天孫降臨神話の主人公のお墓です。一度久高島に降臨し、沖縄本島に移ったという。そして、その人は九州南部から沖縄に来たのではないかとも言われているアマミキヨです。

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近くの海中には海に取り残された石灰岩の岩が侵食されて面白い形を見せている。

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勝連城跡
与勝半島の西側。中城湾がわに立つ勝連城に行きました。ここは世界遺産! それなりに周辺は整備されておりきれいなところです。

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15世紀、陰謀にはめられたのか、隣の中城城を攻め滅ぼした後、今度は王朝により滅ぼされた。
このあたりのいきさつは、沖縄の人たちには非常にポピュラーな歴史的事象でだれでも知っている事だそう。そして、立場立場で諸説あって、今に至るも新説が出てくるそうだ。

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城の最上層の土中からは、当時地方では所有できないと考えられていた、中国製の染付けなど、高級陶器が大量に出土したとか。このことで勝連城は世界的に有名であったそうだ。

例によって、こちらの城壁は、本土のもののような直線的なものでなく、柔らかなカーブで構成されており、シルエットが美しい。

これが、最上層からの眺望。この中央あたりが一度は攻め滅ぼした中城城跡。かなり近く見える。眼下は中城湾。ここに、中国貿易の船が頻繁に出入りし、沖縄では珍しい城下町が形成されていたとか。

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勝連城跡をはなれ、那覇市内までバスで移動の後、那覇の国際通りで自由行動となった。

首里城跡
私は、娘と首里城へ行く事にした。なにしろ、沖縄に来て首里城見た事がないというと、ちょっとおさまりが悪いので(^_^;)行きました。

モノレール首里駅から100円バスで首里城前へ

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順路をたどって正殿前へ。

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新しいとはいっても、さすが沖縄のシンボル。美しい。
首里は那覇の町からは相当標高が高く、その中でも首里城は尾根の背に構築されている。
眺望も、相当遠くまで見通す事が出来る。
建物の中は博物館のようになっていて、いろいろな展示物があったのだけれど、ゆっくりしている時間はないので通り過ぎた。

帰り、バスの来る時間に間があったのでどうしようかと思ったその前をタクシーが通過。一瞬「乗りたいな」と思って運転手さんの顔を見る…と、タクシーが止まった。ドアも開いた。ほかにはお客さんはいない!?
「えっ!?」沖縄のタクシーは運転手さんと目が合ったら止まるって本当なんだ!!
まさか、運転手さん人の心読んだわけじゃないよね?
駅まで500円!! 安い!

そこから待ち合わせの牧志駅へ

沖縄旅行の前に、沖縄や久高島について書かれた本を何冊か読んできたんだけど、全然頭に入らなかった。
なぜか考えたけど、事前に歴史上の人物の名前はおろか、地名も知らなければ重要な歴史的事件についてもほとんど知識がない。だから、急に何冊かの本を読んでも、それくらいの事では頭に入ってくれなかった。
学校では、沖縄に関することをなんにも教わってこなかったから、当然かも。
これほどまでに、何にも知らなかったというのは、かなりショックだった。

日本にこんなすばらしいところがあるなんて、ほんとに知らなかった。

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2008年3月20日 (木)

沖縄旅行 4日目 3/15(土) 久高島

日の出 カベール岬
朝の5時20分ぐらいに宿のロビーに集合して、島の最北端のカベール岬に行きました。
参加者22人、1台目ワンボックスカーはカミンチュの真栄田苗さん、2台目軽乗用車を私が運転して2往復で運びます。
島民の住居は島の南端にかたまっているので、宿から北へ向かうと家は1軒もない。
空はだんだん薄明るくなってきており、道の両側は背の高い植物が繁茂している。
一部は、島民の畑が続いている部分もある。

海岸では、空はほとんど明るくなっています。日の出の予想時間は6時35分ごろ。全員が到着したころには、だいたい予想時間になっています。
第2陣が海岸に出たころに日の出が始まりました。

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気持ちの良い太陽の光がさしてきます。
さわやかな光に包まれてきます。

ここは琉球の祖神・アマミキヨが降り立った場所。同時に海の神様・竜宮神が鎮まる場所です。

真栄田さんが何か声をかけると小鳥たちが一斉に飛び立ち、かわいい声でさえずりながら上空に舞い上がっていきます。
そして「そこにカメがきましたよ」とおっしゃるので、一所懸命海面を探します。
そのうち、「あっちにもいた」「ほら、ここにも」と、みんなが何頭も見つけるようになって、やっとわたしも見つける事が出来た。

ウミガメが海岸からみつける事ができるなんて想像もしなかったので、もうびっくり!
ほんとにうれしかった。茶色いウミガメが波間の水上に頭と背中を出しながら、泳いでいきます。

ここではアカウミガメとアオウミガメが見られるそうです。
このとき何回かウミガメをみたけど、識別する知識が何もないので、私が見たのはどっちなのかはわかりません(^_^;)。どちらもレッドデータブックに載っている絶滅危惧種です。

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そののち、砂浜にシートをしいて、朝ごはんのおにぎりをいただきました。おいしかった。
このあとも思い思いに海岸を散策し、一部は徒歩で宿に戻った。

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朝の出発まで1時間ほどあったので、部屋の畳の上で一眠り。

休憩の後、今度は車3台で島内めぐりに出発。

うぱーま

浜はサンゴの砕けた、きれいな白い砂。
きれいな水、きれいな空、さわやかな空気……
ほんとになにもかもがきれい。
光があざやか。(※あざやかすぎて、またたくまに肌が真っ黒になってしまった。(^_^;)

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沖合いに波が砕けるところがあり、その先は海底が急に切れ落ちて深海底につながっている。

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こんなに凄いところに、観光客はほとんどいない。

ただ、強く注意された事がひとつ。
絶対に海岸の石を持って帰らないように。
いままで、石を載せて帰ろうとしていた車が、本島で事故を起こして、車が大破した話や、事業に失敗して身一つで石を返しに来た話などを聞かされた。
海岸の石は、ここにいる限りはいつも祈られ、たくさんの日を浴び、風に吹かれているが、どこかへ連れ去られると石たちはふるさとに帰ることを強く願うようになり、結果的に持ち去った人には良くない事が起こる……と。

フボー御嶽
島の真ん中ごろ、少し東側にあります。ここは男子禁制!女子もカミンチュ以外は入れないという。入り口には立ち入り禁止などと書かれていない……というか史跡だという標示すらなかったんじゃないか?
ということで、入り口手前の道から、少しのぞくだけ。

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以前、北海道から九州までの人で構成された団体さんがここに入った事があって、地元ではどうなるだろうと気をもんでいたところ、1ヵ月後に台風が来て九州から本州を縦断して大変な被害を残して行ったとか。
やっぱり、土地の事を知らないよそ者は、久高島では案内人の人をお願いしたほうがいいと思う。じゃないと怖いよ。

いしき浜
ここはひろーい砂浜。

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神々の船がたどり着くところ。ニライカナイの「対岸」だそう。そして、五穀の入った壷が流れ着いたという、稲作の起源の地とのこと。
久高島の聖地としてはカベール岬とフボー御嶽とここの3ヶ所が中心だそう。

ロマンスロード
最後に西海岸へ行きました。
対岸の沖縄本島が近くに見えています。
コバルト色の海がめちゃくちゃきれい。信じられないぐらい!

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ちょうどがけの上から釣り糸をたれている人がいて、大きなウマヅラハギを釣り上げていた。

むかしは、本島との間にクジラやジュゴンの姿が見られたそうですが、今は見られないそう。残念。

久高島はこれで終わり。

神々の島は美しい!  考えられないぐらい美しい!!

真栄田さんからはたくさんのサーターアンダギーをいただいて、沖縄本島に戻り、ホテルに入りました。宿は沖縄市の東京第一ホテル。街中の高台にあり、港が遠くに見られます。部屋は広くゆったりしていました。
夜には、夕食の後、木内さんの特別講座があり、ツアー参加者のお一人であるオペラ歌手の方の独唱も聞かせていただいて、感激でした。

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沖縄旅行 3日目 3/14(金) 聖地巡礼

団体旅行初日です。
フォーラム・ソラ」主催で木内鶴彦さんが案内してくださるツアーです。
朝8時15分、那覇のホテルのロビーに集合。
朝から雨。まっ、木内さんには雨がつきもの。ちっとも不思議じゃありません。(^.^)
ここからバスに乗ってスタートです。

糸数城跡(いとかずぐすく)

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沖縄本島の最南部近く、南城市にある。A.D.1300年ぐらい 三山時代の城跡です。
城跡というから、本土の「お堀と直線的な石垣の組み合わせ」をどうしても考えてしまうけれども、全然イメージが違う。

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地山の起伏にあわせて、城壁が万里の長城のようにうねりながら山の頂上部を取り巻いている。城壁の形はヨーロッパのように、平面的に凹凸を組み合わせて防御力を強化しているように見える。日本ではごく近世になってからの五稜郭や臼田城に採用されているような形だ。これは中国伝来の技術なのだろうか?

城壁の中は、天守閣などがあったのでなく、城主の家族が住む館があった程度とか。

案内の方によると、館はかなり質素なものだったはずとのことだった。

玉城城跡(たまぐすくじょうせき)

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同じ南城市、糸数城跡から近くにある。
拝所のある城の上層へは、ザイルがセットされた急な斜面を上り、円形の岩壁の穴をくぐりぬけて上がる。この日は雨のため、そうとう足場が悪い。

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ここは、三山が統一されてから後も、琉球王朝の王が2年に一度は参拝した重要な聖地だ。
聖地というと、どうしても本土のイメージで見てしまうが、こちらの聖地は自然の中に溶け込んでいて、私たちには簡単に見過ごしてしまうようなところだ。
自然の中に、沖縄の人たちは祈りをささげています。
私たちには、かろうじて石やコンクリートで作られた香炉と、その周辺に散らばるお線香、紙切れなどで、それが祈りの場所だと知れるのみ。周囲は、緑に囲まれ、飲み込まれそうになっています。
この玉城城跡は、多くある拝所のなかでも特に神聖なものであるそうな。

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この時点で頭の中は大幅に消化不良。
本土の聖地は、たいていかなりわかりやすい様式をもっているので、見つけやすいし、知らずにそれを侵すようなこともない。こっちじゃ、なんにもわからないまんま、聖地に踏み込みかねない。なんか怖い。これが異文化ってもんですね。

カフェくるくま
昼食です。アジアン・ハーブ・レストラン (^.^)/
ここはガイドブックにも紹介がありました。あんまりわかりやすいところにあるわけじゃないのですが、かなりにぎわってます。
庭からは、あまり天気が良くないものの、遠くかすかに久高島が見えています。
天気のいい日には、すばらしい景色が見えるものと思われます。

受水走水(うきんじゅはいんじゅ)

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同じく南城市、海岸近くの傾斜地。
農地と山との境にたくさんの清水が湧き出しているところがある。
昔、ここで湧き出した水を水田に引いて、取れた稲は首里城に収められていたそう。
いま、それが復活しているそうだ。
沖縄本島での稲作発祥の地と言われる聖地。

浜川御嶽(はまがわうたき)

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受水走水から歩いて数分。うっそうと木々が茂る中に入っていくと拝所がある。
島の始祖 アマミキヨの仮住まいの跡とか。

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横から海岸に出ることができて、その海中にも碑が立っている。
ここも、参拝の場所のようだ。

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藪薩御嶽(やぶさつうたき)

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森の中に拝所があった。踏み分け道の交差点に香炉などが置いてある。
これが、拝所の基本形だそうだ。
女性だけで森の中に入っていって、儀式を行うのだそうだ。

斎場御嶽(せいふぁーうたき)

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ここだけは名前を知ってた。(^.^)V
きれいな駐車場があり、入場券売り場がある。途中の参道(?)は石畳で整備されている。
昔は男子禁制だったという拝所に行く。ここだけは写真を何度も見た事があるから知ってる。(^.^)

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おまけに岩の割れ目のところを突き抜けて左を向くと視界が開ける。そちらを見ると久高島が見えるという。

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今日のまわったところはみな久高島に関係があるような。

久高島へ
斎場御嶽から近い安座真港でバスを降りる。
ここから高速船で久高島に渡ります。時間にして15分ぐらい。

久高島は沖縄本島の最南端から南西の方角、大陸棚の終わるところ、海溝まぎわに位置しています。

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船に乗り込んで船尾から海を眺めていると、顔は怖いけどやさしそうなおじさんが、「どこからきた?」とかいろいろ話しかけてきます。透明な海の下のほうに見えている熱帯魚?のことなんか話していたあとで、おじさんはどっか行ってしまいました。
つぎは、もっと年かさのおじさんだかおじいさんがまた話しかけてきます。
船のエンジンがかかり、船体が動き始めたのだが、ロープがまだつないだまま……だれかはずさなきゃ……乗客がはずすのかな?? と思って見てたら、そのおじいさんがはずしました。
なんだ(^.^)、たのしそうに油売ってたけど、船員さんだったんだ。
そのあと、船室をのぞいてみると、あれ、あの怖い顔のおじさんが操縦してる。
あのおじさんは船長さんだったのか!

久高島の港に着き、宿の久高島交流館まで車で送っていただく。
ラッキーな事に、このとき車で送っていただいたのが、なんとカミンチュ(神人)の真栄田苗さん。
僕が車の中でコホケホと咳をしていたら、「治るように祈りましょう」と言っていただいた。
いきなり島での最初の出会いがカミンチュで、その人に「祈りましょう」とまで言われてしまって、とってもうれしかった。

夕食は島の「とくじんレストラン」
ここで出される食事はどれもみんなおいしかった。
島や、本島で取れた食材ばかりをつかった健康食です。
食事といっても、みんな酒が入って、しっかり飲み会になってしまっていましたが、ここでも木内さんと真栄田さんと同席させていただく事になり、かさねてラッキーでした。

久高島の土地共有制度など、いろいろ学ばせていただきました。今の日本において、土地の私有制度がなく、農産物や漁業の産品をみんなで分かち合う社会が遥か古代から成立し続けているとのこと。神はよくぞこのような社会を残してくれたものだ。

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2008年1月 6日 (日)

12/31 大阪交野

彗星捜索家、木内鶴彦さんのお話から、隕石が落ちた跡といわれる星田妙見宮と、巨大星図の一部といわれる遺跡を訪ねてきました。場所は大阪府交野市(かたのし)から枚方市(ひらかたし)
巨大星図というのは西暦535年の星空を地上に表わしたものとか。非常に壮大なお話だが、だれも知らないこと。

星田妙見宮
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ここだけは2度目の訪問です。
一昨年の2月8日(2005年ね)、仕事で近所に来たときにたずねました。
そのときは、たまたまお祭りの日にあたり、ぜんざいをご馳走になりました。

ここは小高い山の上に鎮座する神社です。周辺はぐるりと宅地になっていますが、おそらくそれは最近のこと。むかしは山中深くに鎮座していたものと思われます。
入り口の鳥居から入った広場のようなところの奥に、木内先生の言う隕石の突入した場所があります。今そこは池になり、滝行の行場になっているようです。
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階段を息を切らして上がり、いわゆるクレーターの上辺にあたるところに拝殿とご神体の巨石(磐座)があります。
拝殿には星座が描かれた幕がかかっています。拝殿前の狛犬はお尻を上げた古いスタイル。
ご神体の巨大な岩は、拝殿から直接見ることができます。
大晦日ということで、お参りの人はほとんどいません。正月の飾り付けをしている様子も見えず。静かな年末です。
拝殿下の社務所からは、眼下に大阪と京都の中間の淀川流域が一望のもとに見え、絶景です。たぶん神職の方だと思いますが、下の景色をいろいろ説明していただきました。
明智光秀が中国大返しでかけつけた羽柴秀吉に敗れた大山崎の古戦場や(というかサントリーのウィスキー工場や)、岩清水八幡宮が遠くに見えます。

星田神社
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星田妙見宮は、明治時代にこの星田神社の境外社となりました。星田妙見宮の本当の名前は小松神社というらしい。
星田神社にも行ってみました。
隣は星田寺というお寺。
おおきな拝殿があり、本殿の様子は表からは見えません。
正月の準備で幕が張られています。
人もいないので、様子を聞かせてもらうこともできませんでした。

交野天神社
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きちんと位置を把握せぬまま、車のナビゲータに指示されるがままに車を走らせ到着したところは、星田神社からは20キロ以上も離れたところ。しかも交野市でなく枚方市でした。
有名な京都の岩清水八幡宮もあとわずかという位置。
境内は緑に包まれいい雰囲気。森はよく手入れをされている。
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地元のおじさんたち数人が拝殿で参列し、神職が本殿にて祝詞をあげておられる。
神域では多くの人が忙しそうに立ち働いておられて、やっぱりお話を聞かせていただくことはかなわなかった。(^_^;)
ここは木内先生の巨大星図の中で北極星の位置を表し、星図の中心をあらわすとか

鏡伝池
交野天神社の南には鏡伝池という池があったが、周囲を厳重にフェンスで囲われ、おまけにこの日は「お休み!!」とのことで、池には近づけなかった。(~_~)
この池はなんなの?池に休みがあるの?池に近づいちゃだめって、だれかの私有地??
木内先生のお話では、池は、天体観測の際に、水面が正確に水平であることを利用して精密な天体観測をするために利用されていたとか。

磐船神社
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いやもう、かわいい猫が2匹もいて(=^・^=)接待してくれたもんで、ひたすら猫のお相手をしてしまった。
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ここも巨大な磐座が鎮座していたものの、あたりはすでに日が落ち、谷底の神社はすでに暗くなっていたので、参拝はまた今度来たときに…ということにした。
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それにしても、巨大な岩だった。





機物神社
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境内には、大木を輪切りにして積み上げ、元旦の薪の用意が盛大に行われていた。ただし、到着した時間はもう日が傾き、人の姿はなかった。
いかにも、今に信仰がつづく神社のたたずまいだった。
ここは木内先生の巨大星図の中で織姫(ベガ)の位置を占めているとか。
インターネットをあさると、「はたもの」は京都の広隆寺や松尾大社などで知られる"秦者"からきた名称とか。この名前は、大陸からの文化を伝承する土地であることを示すようだ。

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2007年12月 7日 (金)

奈良 東大寺 12/3

青蓮院の翌日は奈良へ。天気は雨。大阪の美術館めぐりしようかとも思ったけど、今日は月曜。ほとんどの美術館は休館だ。予定通り奈良に行くことにしよう。

奈良は大阪の難波から近鉄特急で30分。
禁煙車に乗ったけどめちゃくちゃタバコくさい。僕が乗ったときは、ほかに乗客は0。
昔は、駅を出てすぐ、女性の乗務員がおしぼりをもってきてくれたんだけど、今回はそんなサービスはなかった。

平日の朝9時40分発奈良行き特急、6両編成のこの列車は空気を運んでいるよう。
有料特急だけど停車駅は多い。
難波→上本町→鶴橋→生駒→学園前→大和西大寺→近鉄奈良
30分の間にこれだけとまれば特急じゃない…と思う。(^_^;)
平均5分間隔で停車していく。車体はかなり古かった。
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昔話ばかりだけど、昔は都心を出るとだんだん郊外の住宅地へ、家がまばらになって農地へ、そして山の中にわけいりトンネルを抜けると奈良平城京跡……という具合だった。
今回は大阪の都心をでてもいつまでもビジネス街。ようやく住宅地に入るが、住宅街のまま標高が上がる。そしていきなり奈良の西大寺。
いまでは、奈良と大阪はつながっているんだということを理解した。
平城京址は昔のイメージを残して懐かしい風景。少しずつ宮跡の建築物が復元されつつある。

平城宮祉を過ぎると電車は地下にもぐっていき、すぐに近鉄奈良到着。
あれ? 隣のホームに京都の地下鉄電車が止まってる。しかも京都「国際会議場」行き。
いまじゃ、京都の地下鉄に乗れば奈良に来れちゃうんですね。ボーダーレスって 違うか…
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駅の改札を出て、地上に出る。
そして奈良国立博物館の横を通る。ここは好きな博物館。とっても落ち着く。でも今日はお休み。

今日の目的地は東大寺。
最初は南大門経由で大仏殿へ。
南大門前は、京都の観光地のように客待ちの人力車がいっぱい。
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雨に煙る東大寺に一般客はほとんどいない。
でも、大人数の修学旅行生で境内は満杯。
鹿が「せんべいくれ くれ くれ」って修学旅行生に迫り、生徒たちはキャー こっわいー って逃げ惑う。大騒動だ。
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大仏殿の前に大きな池があり、そこが紅葉で景色が赤く靄っている。
とっくに最盛期は過ぎた感じだけど、すごくきれい。
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大仏殿の前を通って三月堂のほうへ石段を登る。紅葉のアーチの下を、ぬれた石段を登る。ひと気のない階段は気持ちいい。背中に巨大な大仏殿、前方におおきな鐘楼。
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鐘楼の横、俊乗堂、
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行基堂、
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念仏堂、
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それから四月堂の横を通って二月堂へ。
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奈良へきた目的、二月堂のねずみの土鈴とお香「なむかん」を購入。

二月堂の舞台から奈良市方向を見る。だけど何にも見えない。お寺全体が雲に入ってしまったようだ。目と鼻の先の大仏殿さえ、シルエットも見えない。
あとは三月堂の前をとおり、
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手向山八幡宮の前でUターン。
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大湯屋、正倉院を覗いて戒壇院まで。
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正倉院では監視のおじさんが退屈そう。校倉の下、柱列の間から見える紅葉がきれい。

今回、お堂の中まで入らせていただいたのは二月堂と戒壇院だけ。
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戒壇院は、中学生のころと、大学生になってから来たことがある。大学生のときは足元から冷気が這い上がってくる、雪がちらつく季節だった。きょうは寒いけれどそのときほどではない。

外がどんなに大混雑でも、戒壇院の周辺はいつも静か。
お堂は小さく、堂内いっぱいに戒壇が築かれている。ここは、晩年唐招提寺を建立した鑑真が、日本で最初に授戒を行ったところ。
四隅に有名な国宝の四天王塑像が立つ。中央の多宝塔の中、銅像の釈迦如来と多宝如来の小像は非公開。
四天王は、三月堂の執金剛神像に似た厳しい表情、写実的ですばらしい像。

こんなところが、いつも静かに拝観させていただけるのは、とてもありがたいです。

寧楽美術館。
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戒壇院から外に出て、近くの寧楽美術館に行きました。
この日は「古銅印を中心とした中国美術品」という企画展をやっていました。
いままで、古銅印というのをゆっくり見たことがないので、ちょっと面白かったです。

これにて奈良での予定は終了。お昼12時。近鉄奈良駅前の喫茶店「あかだま」をめざすも月曜はお休みだった。
親父も奈良に行ったときはいつも立ち寄ったという古~い喫茶店です。マスターのゆっくりした話し声が聞きたかったのですが、今回はあきらめ。

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2007年8月 8日 (水)

茅野市立 尖石縄文考古館

星まつりは、午前中ほとんど行事はありません。昨日の夜中は夜更かししていますから、みんな起きてません。起きていてもまだ生気のない顔で会場の芝生の上をさまよっています。せっかく高原の気持ちのいいところに来ているので、近所に足を伸ばしてみました。
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車で20分ぐらいのところに茅野市立の尖石縄文考古館があります。外見は地味な建物ですが、すばらしい所でした。

なんたって、これでもかってぐらい陳列された土偶と土器。特に土器は大迫力。
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土器つくりを体験できるコーナーや資料の閲覧できるコーナーも大変充実しています。
展示室には常に解説員の方が常駐しておられて、丁寧に説明をしていただけます。
なんと、尖石遺跡発見当時に発掘作業に従事したという方も、説明員として展示室におられました。
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そして、国宝の「縄文のビーナス」と重要文化財の「仮面の女神」がすばらしい。
縄文のビーナスは頭にヘッドギアをかぶってる。何してるんだろ。服は着てないようなのに。髪型?
仮面の女神もやっぱりヘルメットをかぶってる?こちらは服を着ているような。

屋外の芝生の庭園では、復元住居が何棟か見ることができます。大変きれいに管理されていて、気持ちのいいところです。
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2007年6月10日 (日)

町田市 田端環状積石遺構

町田市立博物館でパンフをもらって市内の「田端環状積石遺構」を見に行くことにしました。なんたって、うちの近所にも環状列石がある(ちがう?)という事実に驚いて、あわてて行くことにしました。

京王線の相模原線終点手前、多摩境駅すぐそばです。本屋さんの久美堂そばに、小山白山公園があります。公園を通り抜けて、一番下まで階段を下り、多摩センター通り方向に道をたどると、途中、住宅街の中に標石があります。Fuyucamera_045_2 うっかりすると見落としそうですが……
保存区域に入ると、遠く、富士山や丹沢などの山々が望まれ、なかなかいい景色。ベンチなんかあったりして、ボケ~とするにもいいところ(~o~) 野鳥もいろいろ遊んでます。

足元には、その環状積石遺構を埋め戻した真上に復元展示がなされています。Fuyucamera_051
そこそこ大きい石が一見ごろんごろん転がっていて、遺構の昔の状況を知るのは難しいですが、ちょっと面白そう。Fuyucamera_054 立石が、磨かれたような整形されたような整った形をしています。
この遺跡のすぐ横には墓と思われる穴がいくつもあるというのも気になるところ。Fuyucamera_060
遺跡は長円形ですが、その長径の指差す方向には富士山が見えています。
富士山が、ここではなにか意味があるのでしょうか?
縄文時代後期から晩期の遺跡だそうです。

ここも、先日の山王上遺跡と同様に河岸段丘の端で、丘が急激に切れ落ちているところに立地。近くを流れる川は境川で、東京都町田市と神奈川県相模原市の境界線。水源は近所にあり、神奈川県藤沢市で相模湾に注ぎます。

こんな遺跡があったなんて知らなかったです。発見されたのは1968年。40年も前ですね。僕はまだ京都にいましたね。東京ローカルのニュースだったんだろうか??

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2007年5月26日 (土)

東京 日野市 山王上遺跡現地説明会

日野市郷土資料館に行った。Fuyucamera_002_6
ここは2回目。前回、オープン直後ぐらいに行って、あんまり○○なので、しばらく行く気がしなかった。ひょっとしたらヴァージョンアップしてるかもしれないとの期待のもと、もう一度訪ねてみた。
すると入り口に、「山王上遺跡現地説明会 5月26日(土)」というチラシ--今日じゃん!--を見つけ、そちらに飛んで行きました。

現場はJR中央線 豊田駅近くの多摩川支流 浅川 河岸段丘上の公団住宅の建て替え予定地です。広さは10万㎡!!
豊田駅方向と日野市役所方向の隣接地には数十万㎡規模の遺跡があるという、遺跡の密集地です。いずれも同じ、多摩川段丘上に立地します。 Fuyucamera_003_4
縄文時代の敷石住居跡、奈良時代の竪穴住居跡3つと掘立柱建物跡5つ、集石土坑(石焼オーブン)跡など……広大な調査地域の中でそれぞれに都の埋蔵文化財センターの職員がついて、丁寧な説明をしておられた。
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調査地は周囲をぐるりと大きく育った木々に囲まれているため、周囲はビルやマンションが立ち並んでいるにもかかわらず、それらから目隠ししている。ただし、浅川方向だけはがけになっていて建物は無く、木々の間から遠くの山々のつらなりが見えるようになっている。 Fuyucamera_012_2
とても景色のいい”気持ちのいい”ところだった。ここがキャンプ場だったら居付いてしまいたくなるようなところです。
でも、大変ないい天気で、職員の方は汗を拭き拭き「暑いですね~、でも大雨にならなくてよかったです~、ハァ~」と言いながらゆでだこのような顔をしておられました。

奈良時代?の竪穴住居跡はみな四角形の深い穴で、その一辺にかまどが付属しています。縄文の遺跡なら、本の図版などで丸い住居跡を見慣れてますが、この四角い家の中で、むかしの人たちがどんな生活をしていたか、いまいち想像がしずらくて、とても違和感がありました。

ほかに、近くの現場で発掘された石器時代の石器製作所跡?の遺物を展示していました。鏃を作るために削った石片が見つかったというのですが、小さ な小さな石のかけらを何万㎡という敷地の中から発見するという仕事を想像し、絶句。大変な仕事だ。遺跡の発掘は、子どもの頃からの私の憧れの仕事なんだけ ど、灼熱の現場での肉体労働とともに、生半可な仕事でないことを、改めて思い知らされた。

今回公開の現場は、「まだ関東ローム層まで掘ってないのだけれど、そこまで行けば、石器時代の遺物が出てくる可能性はあるんじゃないかな」と係員 の方が言ってました。がけの下は水が湧き出すところだから、動物が集まっただろうし、そうしたら石器時代人も獲物を求めてこのあたりに来ていたはず……と いう理由。

※現場の写真は、「無断でWEBに掲載したりしないで下さい」って、人の心を見透かしたみたいに、きっちり釘刺されたんで、風景写真だけ載せます(*^^)v

日野市の文化財行政に関わる方々へ……ここはご覧になってないとは思いますけど、もしご覧になっていれば、お願いいたします。日野市郷土資料館 はとても公開を前提とした施設とは思えません。日野市がこれほど文化財を軽視なさっている現状は、とても悲しくなさけなく思っております。是非、ご再考 を!!歴史教育にあと少し予算と人材を振り向けて頂きたい。日野の歴史は、新撰組だけじゃないのですから、是非お願いいたします。

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2007年5月14日 (月)

東京 多摩市 稲荷塚古墳

Fuyucamera_002_5 今、郷土史週間(^_^;)の私は、聖蹟桜ヶ丘の「聖跡記念館」に行ってみました。

ここは、よく見ると相当凝った意匠の建築です。狩りで何回もおいでになった明治天皇を記念した建物だそう。

Fuyucamera_005_5 この建物の周辺は、春なら桜が大変きれいなところ…名の通り「桜が丘」です。また、秋冬は遠くの方まで見通すことができる景色の素晴らしい場所で す。ところが、これからの夏は緑が濃密 に生い茂って、遠景はまったくききません。親子連れや、某政治団体支部のハイキングの人たちが広いアップダウンの中 で思い思いに散策しています。

そこから「東京都埋蔵文化財センター」に行きました。京王線や小田急線の「多摩センター」駅から数分のところにあります。要は「パルテノン多摩」からそんなに遠くはないところです。

Fuyucamera_010_3 縄文式土器のかけらなども触らせてもらえます。
実際の縄文期の住居跡遺跡が隣接しており、竪穴住居が再現してあります。屋内展示はごくコンパクトで、縄文から江戸時代までの基本的な埋蔵文化財を、近隣で発掘された遺跡からの出土物を中心に、順番に展示してあり、子どもたちにも興味が持てるような工夫もあります。Fuyucamera_011_2

昨日「パルテノン多摩」の展示で見かけた「稲荷塚古墳」の展示がここにもあり、多摩市内の「稲荷塚古墳」を実際にこの目で見たくなったので、そのまま出かけました。

地図にも載ってないし、どうやったら場所がわかるのかと思っていたけど、たまたま車のナビに「稲荷塚古墳」と打ち込んだらそのまま地図が表示されてしまいました。
んなわけで、ナビの指示のまま車を走らせ、現場に行きました。 Fuyucamera_007_1
緩やかな起伏のある多摩ニュータウン地区の中でも、ゆるい尾根筋で、古墳が多くある地域の一角にその遺跡の表示がありました。昔は墳丘も含めた広い範囲を寺域とする寺があったが廃絶し、明治に墳丘の上を大きく削り稲荷社が建てられたとか。
そして、そのころ墓室が暴かれ、盗掘にあったとのこと。千年ほどは、墓の住人も安らかな眠りについていたかも知れず、つくづく残念なことです。

荒れ果てた恋路稲荷神社の社殿の横が石室を埋め戻した現場らしく、ブロックでわかるように地面に表示されています。
ここが、西日本では天皇クラスの墓所として数基確認されているのと同じ八角墳であることは、外見ではわかりません。時代は古墳時代後期。神社の境内の周辺もある程度広い範囲が児童遊園として下草は刈られています。これが古墳の範囲かもしれません。
周辺はあまりスッキリした印象ではありません。

まあ、十分な管理がしきれないので埋め戻すということも、ある意味いい判断かもしれません。

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2006年5月 6日 (土)

府中市郷土の森博物館

昨日は長野で天文台に行ってきた余韻で、プラネタリウムに行きたくて、府中市郷土の森博物館 "http://www.fuchu-cpf.or.jp/museum/" に行ってきました。

どこのプラネタリウムでもそうだけど、1日の上演回数は休日ですら3~4回しか上映しなくなっており、座席も満席になることはなくなっている。どうしたんだろう。バブルの最中には日本中にこの高価なプラネタリウム館が県や市町村の手でいっぱい出来上がったというのに……

上演時間まで間があったので特別展「あすか時代の古墳」をのぞいて来た。
ちょうど学芸員の解説が始まっており、ラッキーってなもんで、お話を聞かせてもらいました。
府中市の熊野神社古墳が飛鳥時代の上円下方墳であることが発掘調査の結果判明したとの事で、それの報告展示です。
報道では、「日本最古最大の上円下方墳」などと伝えられていましたが、学芸員は、「それはどうかな~、もっと大規模なものはいくつもありそうだ。 大きさで言うのBクラスということじゃないですか?」といっておられたけれど、考古学の現場の一端に触れられたのが懐かしく、楽しかった。

地方の行政が地方豪族から地方官僚の手にゆだねられる過程で、副葬品も豪華なものから、中央政府から支給される質素な規格品に変わっていく様子が見て取れるとか。
中央政府の力が、遠くはなれた関東の地方組織にも及ぶようになって来た時代なのだな。

プラネタリウムは 「春の大曲線」「春の大三角形」「北斗七星」のお話がメインで、期待した彗星のお話は無かった。ちょっと残念。

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